「諦観(ていかん)」という言葉は、ご存知でしょうか。
文芸作品に馴染みのない人だと、あまりお目にかからない言葉かもしれません。
日常会話で使う言葉でもありませんので、知らなくても不都合はないとも言えますが、知っていて損はありません。
せっかく出会ったこの機会に、「達観」を使いこなせるようになってしまいましょう。
それでは、以下で「諦観」の意味や用法について深掘りしていきましょう!
「諦観」の意味・読み方
「諦観」は「ていかん」と読みます。
次に意味ですが、まずは「諦観」の漢字をひとつずつ確認していきましょう。
「諦」は「あきらかにする」「まこと」という意味で、日本に入ってから「あきらめる」という意味も加わりました。
「観」は「みる」「ながめる」「注意して見る」などの意味があります。
従って「諦観(ていかん)」のもともとの意味は「よく見ること」で、「諦視」とも言います。
そこから広がって、
「ものごとの本質をよく見極めること」
「俗世の希望(欲望)を絶ち、超然とした態度をとること」
「悟り」
という意味になりました。
仏教用語としては「たいかん」と読み、「明らかに真理を見極めること」を意味します。
しかし、その後、単純に「あきらめること」という意味で使われるようになり、いまではその用法のほうが普通かもしれません。
「諦観」の使い方
では「諦観(ていかん)」はどのように使う言葉でしょうか。
かなり古風で格調高い語彙なので、会話というよりは、文章で用いるのがふさわしい言葉です。
ただ、昔の小説家か、よほど高齢の学者でもない限り「入念に見る」という意味で「諦観」を使う例はほとんどないのではないでしょうか。
「ものごとの本質をよく見極めること」「悟ること」の意味で使うことも一般的には少なく、日常的には「諦念」とほぼ同じ意味として「あきらめる」意味で使うことが多いと思われます。
「諦観」の類義語・同義語
「諦観(ていかん)」の類義語・同義語にはどのようなものがあるでしょうか。
以下に、例をあげてみましょう。
- 諦視 =「入念に見る」という意味での同義語
- 達観する =「本質を見極める」「悟る」意味での同義語
- 開眼する =〃
- 悟りの境地に至る =〃
- 極意を極める =〃
- 諦念(する) =諦める意味での同義語
- お手上げ
- 観念する
- 覚悟する
- ギブアップ
などがあります。
「諦観」の対義語・反対語
「諦観(ていかん)」の対義語・反対語にはどのようなものがあるでしょうか。
以下に、例をあげてみましょう。
- 注意散漫 =「入念に見る」の反対表現
- 漫然と眺める=〃
- ぼんやり =〃
- 煩悩に悩まされる =「本質を見極める」「悟る」という意味での反対表現
- 欲に塗れる =〃
- 欲望に溺れる =〃
- 修羅、修羅場、修羅の妄執などの言葉も激しい争いを意味し「達観」とは対照的だと言える
- 諦めない
- くじけない
- 屈しない
- めげない
- へこたれない
- 希望を捨てない
- 往生際が悪い
等が挙げられるでしょう。
「諦観」を使った例文
「諦観(ていかん)」はどのように使うのでしょうか。以下に例文を挙げてみました。
- 総選挙の開票が進むに連れ、A党党首の顔には諦観の色が滲んだ。
- 荒れ果てた故郷の景色を目の前にして、諦観の念が沸き起こるのをいかんともし難かった。
- 自分の衰えを冷静に諦観して、彼は演奏家生活を終える決断を下した。
- 世の中の矛盾に目をつぶって、ひとり諦観の境地に達した顔をしているのは、自己欺瞞(ぎまん)以外の何物でもない。
まとめ
以上、「諦観」の意味や用法について深掘りしてみました。
「諦観」だけではなく、「達観」や「悟り」など、さまざまな類語や、対義語もうまく活用して、ぜひ表現の幅を広げていただければと思います。
この記事が少しでもあなたのお役に立てば嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。